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村井國夫

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Wikipedia

村井 國夫(むらい くにお、1944年9月20日 - )は、日本の俳優、声優。旧芸名、村井 国夫。

中国・天津市生まれ、佐賀県佐賀市出身。劇団俳優座養成所第15期生。現在の所属事務所はトム・プロジェクト(それまではキューブに所属していた)。身長176cm、血液型はA型。妻は女優の音無美紀子。2012年1月に村井国夫から村井國夫に改名(表記を旧字体に変更)した。

略歴・人物

生い立ち

父の仕事の関係で第二次世界大戦中に中国・天津市に生まれる。終戦後、母に背負われて日本に引き揚げ、母の実家がある佐賀県で5人兄弟の末っ子として甘やかされて育つ。

佐賀県立佐賀高等学校(現・佐賀県立佐賀西高等学校)卒業。高校では引っ込み思案を案じた女剣劇好きの母の勧めで演劇部に入部して、本格的に役者を目指していた演劇部の1年先輩・辻萬長のもとで演劇の基礎を学び、初舞台の評判がよく褒められたことで芝居漬けの生活を送って、高校卒業後には劇団俳優座養成所に入所した辻を追って上京する。

1963年に劇団俳優座養成所に第15期生として入所、同期生には地井武男、夏八木勲、前田吟、林隆三、小野武彦、竜崎勝、原田芳雄、高橋長英、栗原小巻、太地喜和子などがおり、後に「花の15期生」と称された。劇作家の田中千禾夫や演出家の栗山昌良らのもとで学び、1966年に卒業する。

俳優として

劇団俳優座養成所の卒業後の1966年に東映の映画に出演し、俳優としてデビュー。東映から専属契約の話もあったものの「映画より芝居」との思いから本数契約として、串田和美ら劇団俳優座養成所卒業生と1966年夏に劇団「自由劇場」の旗揚げに参加する。

「劇団は食えない」として4年ほどで辞めた後、元気があったテレビに活躍の場を求めて、1970年代から1980年代にかけてはテレビドラマや時代劇に出演し悪役として活躍する。テレビの仕事に単調さを感じ始めた頃、養成所同期の高橋長英と太地喜和子の舞台『藪原検校』を見て「俺はテレビでいったい何をやっているんだ」と衝撃を受け、五月舎制作、木村光一演出の舞台作品へ出演するようになる。

1989年には歌のレッスンとオーディションを経てジョン・ケアード演出のミュージカル『レ・ミゼラブル』にジャベール警部役で出演しバリトンの美声を響かせ、以降2001年まで13年にわたって800回以上出演を続ける。『蜘蛛女のキス』ではゲイの囚人役を演じて1992年の第47回文化庁芸術祭賞を受賞する。

TBSテレビの『浅見光彦シリーズ』では、浅見光彦の兄で警察庁の刑事局長・陽一郎役を第1作目から担当。2009年の第28作・『高千穂伝説殺人事件』で同役を降板。光彦役が4代目の平岡祐太になった『新・浅見光彦シリーズ』の第1作『漂泊の楽人 越後〜沼津・哀しき殺人者』では、物語の重要人物にして、一連の事件の犯人である矢野隆一郎役で出演。

2019年12月8日、軽度の心筋梗塞のため主演を務める劇団桟敷童子の公演『獣唄』を降板することを発表。2020年1月16日から上演の『黄昏』も降板。

復帰後のインタビューでは、上述した降板を機に「家族の大事さを病気で分かった」と述べ、唯一の趣味であった葉巻もやめたことも明かし「今は芝居だけが趣味みたいなものになった。これからは出演作一本一本を大事にしていきたい」との考えへと変わっていったという。

ハリソン・フォード

声優としての実績も豊富で、特にハリソン・フォードの吹き替え声優として知られている。長年にわたり務めていることから、日本における「フォードの分身」と言われることもあり、その功績から第18回(2023年度)声優アワードでは外国映画・ドラマ賞を受賞した。


 

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