CLOSE

CLOSE

ジャンル別公演チケット

エリア別公演チケット

条件別公演チケット

HOME > 河相我聞

河相我聞

河相我聞



※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube検索等を行い、
その結果を自動的に取得・表示しています。


 

Wikipedia

河相 我聞(かあい がもん、1975年〈昭和50年〉5月24日 - )は、日本の俳優、ナレーター、タレント、司会者、ミュージシャン。埼玉県大宮市(現:さいたま市)出身(実際は蕨市に生まれてすぐ大宮市に転居している)。
株式会社ウィーズカンパニー所属。

「かわい」と発音される場合が多いが「かあい」が正しい。なお、「河相我聞」は本名である。

来歴・人物

生い立ち

埼玉県の蕨で生まれた。父親は福井県、母親は広島県の出身。父は玩具店などを経営していた実業家である。母は妾として生活していた。認知はされていたが、父と母は籍を入れていなかった。実兄は父が60代、我聞は70歳ぐらいの時の子どもであるという。兄弟の命名は父によるもの。

裕福な家庭ではなく貧乏というわけでもなかったが、家はすごく小さくボロボロだった。明治生まれの父親が事業を頑張り出したのは50歳を過ぎてからで、それから頑張って財を築いた。母は自分で事業をやっていた。我聞が17歳の時に父が亡くなり、遺産相続では福井の家族と揉め母親に「遺産放棄していい?」と聞かれたので我聞は「いいよ」と答えた。

芸能活動

1991年、『天までとどけ』のオーディションを経て第1シリーズから次男・信平役でレギュラー出演。

1994年(平成6年)2月、内田有紀主演のフジテレビ系連続ドラマ『時をかける少女』に準主役で出演。続いて7月から放送されたテレビ朝日系連続ドラマ『青春の影』では袴田吉彦とともに主演。9月にはワーナーミュージック・ジャパンから「Brandnew Days」で歌手デビューする。

1995年(平成7年)10月から放送された野島伸司脚本によるTBS系連続ドラマ『未成年』にもレギュラー出演。1996年(平成8年)ごろからはバラエティ番組への出演機会も増える。

バラエティー番組の影響から料理好きとして知られるようになり、2004年(平成16年)の秋、明星食品の“店主シリーズ”からカップ麺をプロデュースしている。この発売をきっかけにして、俳優・タレント業と両立させる形で東京都立川駅南口に出来た集合施設“ラーメンスクエア”内でラーメン店「ラーメン我聞」を2005年(平成17年)4月8日にオープンさせ、続いて四国高松店、名古屋栄町店と出店した。俳優業の合間に自ら厨房に立ち腕をふるっていたが所属事務所が肖像権使用などの損害賠償請求(後に棄却判決)をし、さらに経理担当者の横領が発覚し、店主業は2007年(平成19年)3月を以って廃業した。

音楽分野ではドラマーとして渋谷セルリアンタワー内のJazzクラブ「JZ Brat」をベースにライブ活動を行なっている。

2009年(平成21年)1月中旬に東映系で公開予定だった映画『ふうけもん』は製作側と配給側とが折り合わず公開中止となったが、2011年(平成23年)度内に向け本編部分の再編集などを経て公開準備中となっている。初主演のDVD映画企画『喰いしん坊!』シリーズが2007年(平成19年)から製作されている。

近年ではブログや書籍なども評価され、企画モノの動画を制作するクリエイターでもある。

エピソード

  • 中学生から7DKの実家で一人暮らしになり、本人不在中も友人たちの溜まり場と化していた。『マルコポロリ!』出演時に「見知らぬ人もいて家はラブホテルのようだった」と語っている。
  • 『天までとどけ』の一次オーディションに2時間も遅刻し、二次オーディションも遅刻したが「テストがあった」と嘘をついた。
  • ドラマ『青春の影』で意気投合したつるの剛士が家に居候していた時期がある。同じく『青春の影』で共演した袴田吉彦とは親友である

 

取扱中の公演・チケット情報

現在取り扱い中の公演はありません。