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武田久美子

武田久美子



※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube検索等を行い、
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Wikipedia

武田 久美子(たけだ くみこ、1968年8月12日 - )は日本の女優、元アイドルである。原プランニング→ホリプロ→フィットワン→株式会社スクロールを経て株式会社グローバルプロモーション所属。

人物

両親とも静岡県の出身。母親の実家がある静岡県で生まれる。2歳半のとき、東京都中野区に引っ越す。中野の若宮幼稚園卒園後、一家は、東京都北区田端にマイホームを建てて引っ越す。北区立滝野川第四小学校、堀越中学校(現在は廃校)を経て堀越高等学校卒業。

小学4年生のときに、弟とともにウナコーワのテレビCMに出演。弟は乳児からベビー用品のテレビCMに出演しており、自身も子供の時から目立ちたがり屋で、いつかはタレント活動をしたいと考えていた。中学生時代の1981年11月23日、雑誌で見た「東京大学アイドルプロデュース研究会」が主催する東大駒場祭「第2回東大生が選ぶアイドルコンテスト'81」に自身で応募し、総数1263人の中、優勝、「東大生が選んだアイドル」として話題になる。これが縁でスカウトされる。 直後に石井聰亙監督の34分の短編映画『シャッフル』にヒロインとして映画初出演(公開は1983年秋)。

1982年、日本映画『ハイティーン・ブギ』にヒロイン役で出演した。その劇中で、主演の近藤真彦とのキスシーンがあったことが原因で、近藤の熱狂的なファンから様々な嫌がらせを受け、一時は芸能活動そのものに支障を来たす程の事態となった。

1983年に「噂になってもいい」で歌手デビュー。ドラマ・映画に多数出演する。1990年代からは、グラビア雑誌や写真集で大胆なヌード写真を披露し、人気を博す。1999年にアメリカ人と結婚。アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴへに移住したが2016年1月11日、離婚が成立。離婚した理由について、日本人女性からすると文化や人種から違う外国人男性との結婚生活は、ストレスや不満が多い事を明かした。

エピソード

  • アイドルとしてデビューする前の堀越中学校時代、男子アイドルグループ「ビッグ・マンモス」のメンバーであり、水難事故のため14歳で死亡した山崎圭一と交際していたことを、2005年に出版の著書『くみこの掟』にて記述している。
  • 1989年(平成元年)にリリースした写真集『My Dear Stephanie』において、ホタテガイの貝殻を乳房に付け、水着に見立てた“貝殻ビキニ”が話題となり、以降、武田を語る時のエピソードのひとつとして取り上げられる。このことが縁となり、2014年(平成26年)に北海道紋別市のホタテキャンペーンガールに就任した。
  • 外国人男性との国際結婚における難しさやストレスの多さを知っており「外国人はしばらくいいかな」と語っている。
  • 夫の仕事の都合でニューヨークに住んでいた40歳の時、おへそにピアスを開けており、ブログや著書ではへそピアスのコレクションやピアスを着けたセクシーなおへそを披露している。

書籍・映像作品

写真集

  • TOUCH ME KUMIKO(1983年、近代映画社)
  • パステルファンタジー(1983年、サンリオ)
  • 別冊スコラ・武田久美子(1984年、スコラ、撮影・大森雄作)
  • 想いどおり(1986年、ワニブックス、撮影・清水清太郎)
  • JUST A GIRL(1987年、ワニブックス、撮影・清水清太郎) - それまでの清純アイドル路線から大きく路線変更。笹で出来たふんどしを着用したポスターが話題となった。

 

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