原作・玉岡かおる。第25 回織田作之助賞授賞、14年に初の舞台化、テレビドラマ化もされた名作が5年ぶりに再演される。のちの神戸製鋼所、帝人、双日など、現代に残る大企業のルーツともなった神戸の貿易商「鈴木商店」を営む女主人の鈴木よねと、会社の発展に尽力した大番頭、金子直吉の物語だ。初演に続きよねを演じる竹下景子は「時代が変わっても、世の中を作るものは血が通った人と人の結びつきだと教えてくれる作品」と語る。
決して女帝の様な存在ではなかった
――― 本作は5年ぶりの再演です。初演のご経験を踏まえて女主人、鈴木よねについてどの様な印象をお持ちですか?
「明治から昭和初期にかけての約50年。世界を相手に取引をおこない、日本一の年商を誇った大企業のトップに君臨した方なので、それこそ女帝の様なイメージを持たれるかもしれませんが、最初は砂糖問屋として商売を興した先代の主人、鈴木岩次郎の死を受けてのれんを受け継ぎました。その後、組織が大きくなっても自身の住まい方は変わらず、あまり表に立つことはなく、のれんの奥で古くなった浴衣を再利用して雑巾を縫っていたような方です。
一方では、商才のある大番頭の金子直吉らを信じて、例え失敗しても一度決めたことは翻意しない強い意思をお持ちでした。適材適所に人材を配置して、事業を拡大できたのも、彼女に才覚があったからではないでしょうか。また、良い仕事は良い職場環境づくりからと考え、時には若い従業員の為のお嫁さん探しや、夫人達を集めての親睦会を率先しておこなっていたと聞きます。自ら縁の下の力持ちとなって組織を支えていたように感じました」
時代が変わっても人間があるべき姿勢
――― 物語では、戦後不況や関東大震災など、幾多の困難に面しても、忘れることがなかったよね達の商売人としての哲学や生き方を描かれており、現代の私達に大切なものを投げかけてくれる気がします。
「屋号からとった『辰巳会』という商店関係者の交流が今もなお、続いているそうです。大組織としてのトップを預かりながらも礼節を重んじ、人を見守り、大事に育ててきたよねの人徳が、働く者たちをつなぎ、1つの大きな家族のような存在にさせたからではないかと思います。家族、会社、国と単位は大きくなっていっても、全てをつなぐのはやはり人なのだと。時代が変わろうとも、互いを思いやり尊重するという人間があるべき普遍的な姿勢をこの作品は私達に教えてくれるような気がします」
女性の社会進出に先見の明
――― 初演の思い出や、再演だから出来る事、また竹下さんが今回の舞台で試みたいことはありますか?
「初演は兵庫県立ピッコロ劇団さんが主催で、劇団員の方々がメインとなり、私は客演という方で参加をさせてもらいました。神戸が舞台の物語という事もあり、オーディションで一般の方も参加されるなど、地元の方が一体となって作る大変大掛かりな舞台でした。また台詞が全編神戸弁であり、地元の方が多く観にいらっしゃると聞いておりましたので、極力私も正確に神戸弁を発音できるように、脚本・演出の平哲郎さんと毎週劇団の稽古場に通って沢山アドバイスを頂いたことを覚えています。
今回、私はよねの40代から70代を演じますが、前作では十分に描けなかったトピックも大切にしたいです。よねは実業家としてだけでなく、教育面でも大変貢献された人物でした。大正6年(1917)年に日本初の女子商業高校となる、神戸女子商業(現・神戸市立神港高校)に対して多額な寄付をおこなうなど、当時から女性の社会進出に向けた先見の明があったと思われます。女性は家を守る存在という概念が強かった時代に、家の中の座標軸からであってもしっかりと世界を見渡していたと感じました。
また鈴木商店の女中頭を演じられる久野綾希子さんとの関係は注目して欲しいと思います。主人と女中という主従関係があるものの、男社会の中で同性だから分かり合える、同士の感覚があったのではないでしょうか。久野さんとはほぼ同世代という事もあり、第一線でご活躍されている女優さんですので、物語にも厚みが出ると楽しみにしているところです。また、ぼんちおさむさんや、なだぎ武さんといったお笑い出身の方も舞台に新しい風を吹き込んでくれると思います」
人々の心に残る作品に関われたことが宝物
――― 日本一の商社という成功を掴みながらも、わずか50年でその幕を閉じた鈴木商店ですが、竹下さんにとって成功とは何でしょうか?
「TBS『クイズダービー』(1976-1992年放送)に抜擢された事でしょうか(笑)。当時はまだ女子大生。自分ではそのインパクトは分かりませんでしたが、今になってみると17年に近い年月、大橋巨泉さんというテレビを作った大御所とご一緒させてもらって、本当に楽しく家族ぐるみでお付き合いさせて頂き、育ててもらった気がします。
テレビドラマで言えば、フジテレビ『北の国から』(1983-2002年放送。原作・脚本:倉本聰)。約20年間、富良野に通って倉本先生を中心に日本の農業制度やゴミ問題など作品を通して学ぶ中で色々な出会いがありました。映画『男は辛いよ』シリーズ(1969-1995放映/山田洋次原作・監督)など、今でも皆さんの心の中に残り、愛される映画や番組に出演できたことは、成功と言うよりは今の私を作ってくれた幸運であり、大切な宝物になっています」
――― 最後に読者にメッセージをお願いします。
「情報化が進みAI(人工知能)も活用される時代になろうとしていますが、社会の中心は人間であり、人と人との血が流れる温かい結びつきが大切なのだという普遍的なものを教えてくれる作品だと思っています。今年2月に開業したばかりのCOOL JAPAN PARK OSAKA TTホールの杮落とし期間の作品に選ばれたことは光栄なことですし、皆様の記憶に残る1本となれば幸いです」
(取材・文:小笠原大介 撮影:小山真一郎(平賀スクエア))